人と組織研究所 気づきナビゲーター 高橋貞夫

ブログ

メイン | 2007年4月 »

2007年3月25日

4月にHPが出来上がります!

今知人に依頼しHPがまもなく出来上がります。

60歳と7ヶ月で個人で人事コンサルとしてスタート

いたします。この10年間は「苦節の10年」でも

「肥やしの10年」でもありました。

今兵庫県雇用開発協会の「セカンドキャリア支援講習」の

トップバッターとしてお話をさせていただいています。

私の第三の人生がスタートしました。

出来上がり次第ご紹介いたします。

数少ない方々しかブログを見ていただけていませんが、

「自分の歩幅にあったことしかやらないつもりでスタート

しました」ので、もしご覧いただけたなら幸いです。

若いころは、「一番になる」とかランキングはベスト10に

入るとか思ったこともありましたが。

もう他と比較の時は去りました。

自分の「自己実現」に向かって「克己心」を養います。

2007/03/25 18:56 |

2007年3月21日

教育と言う言葉

最近さかんに教育の崩壊が叫ばれている。教育再生プランの

委員会が出来て皆さんが議論もされている。国会も教育再生

を優先課題にされているようだ。

いじめや、学級崩壊など新聞紙面に出ない日はないと言っても過

言ではない。

ある新聞に教育は英語でEDUCATIONであるが、

語源はEDUCEであり、即ち潜在している能力を引き

出すから出来た言葉とあった。

なるほど「引き出す」ことが重要なのだ。

今は引き出しに詰め込みすぎて整理が出来ずに混乱しているの

かも知れない。

コーチングと言う言葉が流行しているが「まさにその人の持って

いる良いものや、潜在しているものを引き出す」手法である。

但しその前に「その人に対する人間観」がなければ単なる

スキルで終わり何の意味もなさないことは言うまでもない。

企業のコンサルや個人別のインタビューをしていて強烈に感じる

のだが「皆さん考える癖」がついていないのだ。何故?と質問す

ると「毎日の仕事に追われそのような精神的・物理的余裕がな

い」と言われる。

確かにそうだろう!しかし何だか少しおかしい。人間は追い詰め

られると必死で考えるものだ。「忙しい」と言う言葉は正当に聞

こえる言い訳に過ぎないかもしれない。私はインタビューで皆さ

んと共に引き出しの整理をし、具体的な良いものを見つけ出し、

期限を区切り磨こうとしている。

教育とは「おしえはぐくむ」ことなのだ。

私の知り合いに教職に転じた人がいたので「何故こんなに教育が

崩壊しているのか?」と尋ねた。

その方は「自分達が本当に1人1人を真剣に見つめられる人数は

20人です。要はもっと熱意のある教職員を増やしていかねばな

らないと思います」とのことだった。

現場の意見は説得力がある。組織のチームメンバーも、ミーティ

ングの人数も7人から8人までが最適と言われているでは

ないか。

2007/03/21 19:33 |

後輩から教えられたこと

先日私の後輩でまさに団塊の世代の最後の年代の仲間に久しぶりに会った。
彼も倒産と言う出来事で職を失ったのである。
新しい職場は見つかったが4年前に脳出血で倒れ、休職を余儀なくされ、とうとう働けなくなってしまった。ある日突然の出来事だったのである。
気にはしていたが、会うと彼の感情が乱れしばらくはソットしておいた。昨年に彼から会いたいとの連絡があり、早速に会った。未だに後遺症が残り障害年金を受給していたのである。何も職についてはいない。
そっと、一度ハローワークへ行ってできる仕事を探したら?とさりげなく言った。それがきっかけである大手のメーカーの障害者のための職にありつけたのである。
4年間のブランクは筆舌に尽くしがたいものがあったと推測する。
1人で悩み、苦しみもがいたであろう。ご家族のご心労は大変なものであった。
そして本年からその大手メーカーに勤務することになった。左半身が不自由であるが、精神的には回復している状態になった。勤務も何とかこなせる状態まで上手く復帰出来たのである。
彼が曰く「人との出会いが大切であり、今の状態でも非常に満足に仕事ができる」とのこと。久しぶりに私に会い報告がしたかったと言った。

私は素直に偉い!!!と思った。
彼は5つの「あ」を実践した。あきらめず・あせらず・あてにせず・あなどらず・あわてずを守り愚直に生きてきたのである。
彼から発する自立的なオーラに私は圧倒された。
自分のことのように嬉しかった。
世の中「勝ち組」「負け組み」と馬鹿みたいにかまびすしい。どちらでもよい。
自分にあった道を素直に生きる姿に感動した。
挫折を乗り越えた人は誠に強い。強がっている人ほどもろいものだ。
世の中は比較だけではない。どれだけ精一杯生きてきたかに尽きる。
私も壮絶なる挫折感に襲われ今まで生きてきたが、まだまだである。

彼との久しぶりの出会いは改めて自分の道を考え直す「人生の踊り場」を意識させられた。

2007/03/21 12:38 |

お問い合わせ