そろそろ新年の活動もスタートしたようだ。
年末の朝日新聞に「患者を生きる」と題してある難病に罹った方の記事が掲載
されていた。苦しい闘病生活をされ、克服された後の考え方が全く変わられた
ことが克明に述べられていた。退院されてご自宅に帰られると「ささいなことを
新鮮に感じ、郵便局まで自分の足で歩いていけることに感激、好きな魚も食べら
れる、日常生活ってこう言うことなのだ」、また「落ち込む暇もないくらい楽し
くしていれば、きっと再発も防げるのではないか」「家に閉じこもるのも良く
ないし、出来るだけ外に出てみよう」と述べられたとか。
私も病ではないが50歳代半ばで失職の経験をしたが、その時は本当にあせった
ものだった。日頃の生活が当たり前になると誠に怖いものではないだろうか、
家に閉じこもってしまうとますます気持ちが萎える。外に出てみると何となく
自分が1人だけ取り残されているような気分になる。人に会っても名刺が出せない、
ネクタイを締めない生活が続くともう立ち直れないのではないかと思ってしまう。
この厳しい経済環境の中、多くの方々も同じような思いを持たれているのではな
いか。このような時こそ、今までのことにこだわり過ぎの自分があり、「過去を
振り返ってもあまり意味がなく、気持ちを切り替えてこれからどのように生きて
いくか」にチェンジすることが大切になってくる。失職するまで私は「働ける喜
び」を感じたことがなかったのかもしれない。自分では阪神淡路大震災に遭遇し、
4年間にも亘る震災による労使紛争に巻き込まれ、大型倒産まで経験したことを
「何でこんな目に遭うのだろう」とばかりマイナスにしか感じなかったのが、
この経験は誰にも出来るものではない、徐々に「今を生きようと前向きに考える」
ことが出来るようになったのはかなりの時間がかかったものだ。
あるべき論や評論家の話を聞いても何にも役に立たなかった、やはり実感してこそ
「気づく」ものではないだろうかとも思うようになった。
先日あるセミナーで「人は何故変わらないのか」と、いくつかの質問をしたところ、
多くの方々から「凄いエネルギーと時間がかかるから」と言うお答えが一番多かっ
た。「気づき」は時間がかかるものであるし、自分の底が見えたら人間は実感し
「切迫感」が出てきて気持ちの切り替えが出来るのではないだろうか。
2012/01/05 07:55