人と組織研究所 気づきナビゲーター 高橋貞夫

ブログ

2014年1月 9日

手段が目的に(ビジネスサプリメント571号)

会議が「必ず何か欠点や失敗を指摘される、出来ていなければ問い詰められる、そうすると思考停止状態になり、頭が真っ白になってしまう、答えられないからまた責められる」ことになっていないだろうか。元職場でもこのパターンが多かった。そうすると会議で責められることに対する弁解材料集めのために、事前に会議をするようになるものだ。全くムダな時間であり、生産性やモチベーションは全く上がらない。これは「目的」と「手段」を取り違えているからなのだ、目的はどのようにすれば成果が上がり、良い方向になるかを検討することである、その手段として会議があるのだが、会議を開くことや提出書類を出すことが「目的」になってしまい何ら目的を果たしていないことが多い。また会議の他のメンバーはそ知らぬ顔、会議参加者には「当事者意識」が芽生えていないものである。会議が単なる報告会になっていることも多いが、このようなムダな時間はますます業績を落とすことになる。ここで会議の進め方を少し変えて、上手く行っていることを話し合い、それは何故なのかを共有しあう、成果が出ない場合は被告席ではなく、その問題をみんなで考える風土になれば随分変わった結果が生まれるのではないだろうか。「人間は誰でも自分に関心を抱いて欲しい」ものなのだ。本人のストレス耐性にも問題がある場合が多いが「チェック」が仕事になった風土体質はいけない。いつ怒られるかと緊張しながらの会議参加は面白くもなんともないし、想像力も創造性も萎縮してしまう。上手くいっても褒めてもらえない、良いところは無視され、マイナスばかりがクローズアップされるので、傷口をぐいぐいと刃物で刺されているようになり、「モノも言えない」状態に陥ることになってはいけない。この厳しい環境下で何をのんきなことを言っているのかとお叱りを受けそうだが、このような時だからこそ、良い部分や、上手く行ったことを認めてあげよう、そうして本来の問題を全員が「当事者意識」をもって気楽に話しあう風土になれば必ず、良い方向性が見えてくるし、モチベーションは上がってくるものなのだ。今こそ「目的」と「手段」を考えるべき時ではないだろうか。我々の周りに「手段」が「目的」になっているものはないか今一度考えてみることも大切かも知れない。

2014/01/09 09:35

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