今の世の中は「鬱」という言葉がよく出てくる。
「躁」ばかりの人にも良く出くわすが、人間だから「躁気分もあれば鬱気分」
もあって当然である。
先日五木寛之さんと香山リカさんの対談新書「鬱の力」という本を読んだ。
「鬱」という言葉は広辞苑で調べると「草木の茂るさま、物事が盛んなさま」
とあるそうだ。「鬱蒼たる樹林」は肯定的な意味であり、エネルギーと生命力
がありながら、出口を塞がれていることから中で発酵するものが「鬱」だと
話されている。そう!エネルギーがある証拠なのである。
出口さえ見つかれば大きな力となるのだ。その出口が見つからずイライラし
「鬱気分」になるのである。
従来「鬱傾向」の人は几帳面・まじめ・完全主義などの性格特性があると
言われているが、全て素晴らしいことなのだ。
前向きなスタンスの持ち主と言っても過言ではない。
要はその思いの発露の仕方がわからないのである。単純には言えないが、
それさえ「気づきのナビゲート」をしてあげれば解決する場合が多いのではないか。
ただし「鬱気分」と「鬱病」とは全く違うとも述べられている。
「鬱病」は休養と治療が必要なことは言うまでもないが、「鬱気分」を一言で「鬱」と
解釈することはおかしい。「鬱陶しい天気」や「鬱陶しい気分」は良くあること。
その見分けは大変に難しいが、先日のブログで述べた「オンタイム鬱」は仕事が
大変だから「鬱気分」になったのではなく、仕事の大変な状況に直面したくない
からなるのだろう。したがってドクターに「鬱病」と書いてくださいと要望する輩が
出てくる時代なのだ。
何でも「鬱」に結び付ける風潮を考え直さなければならないのではないだろうか。
2008/11/12 22:11