成果主義の崩壊が叫ばれて久しいが、評価と言うものは形を整えただけでは
ダメで「運用」をどのようにしているのかが大きな問題点であることは言う
までもない。その人の結果のみだけではなく「どのように結果を出したのか」
と言うプロセスが問われるのである。
リンゲルマンと言う人が「綱引き」の実験で自分の力をいかに出しているのか
を検証した話を目にした。一対一の場合は持っている力の100%を出し切る
が、八対八になるとほぼその人の力の半分ぐらいしか出さないようになると
言うものだ。そう!誰かがやるだろうと考え方が出てしまい無意識に手抜きが
起こると言う。あなたが綱引きのリーダーで20名のチームであれば
「本当に力を出し切っている人と、綱だけをつかんであまり力を入れていない人
の区別が付けられるだろうか?」。またラタネと言う人が被験者は一人なのだが、
出来る限り大きな声を出す実験をしたそうだ。被験者に目隠をし、ヘッドホンを
付けて声の大きさを測るのである。肩を一回たたく時は一人、二回たたく時は二人、
三回たたく時は三人が声を出すと思いこませるのである。そうすると一回目は
かなり大きな声が出るが人数が増えると思い込ませていると徐々に音量が落ちる
というのだ。まさに無意識に手抜きが起こっているのである。
もし組織の中でこのようなことが起こっておれば大変である。当事者意識が薄れ
成果は出にくい状況に陥るのである。
成果主義の前提は「各人の能力の出し方が万全なのかどうかの見分けが付く人が
評価者にならなければ真の運用にはならない」。タイムリーな声かけがなされ、
的確な気づきのナビゲートがなされて初めて成果主義が真のものになる。
リーダーとフォロアーがお互いに信頼関係が構築され、リーダーは「自分が責任を
持つから」と言う強い発信がなされ、トップが「社員の生活は守る」と言う強い
意思がないと軽々しく成果主義を導入しても「無意識の手抜きが」起こってしまう
怖さを感じる。
2009/09/13 07:38