ワランツ・カフカの短編に「掟の門」という寓話があるが次のような内容である。
<田舎からある男が掟の門の前にやってきた、門は開かれていたがその門に門番が
立っている、男は入れてくれと言ったが「今はダメだ」と答えた、「後でなら、
入れてくれるのか」と門番に尋ねると「そんなに入りたければ入っても良いが先に
行けばもっと怖い門番がいるぞ」と言うではないか、そこで男は怖くて中に入れ
なかった、長い年月が経ってやがてその男の最後の時がきた、男は門番に向かって
最後の問いかけをした、「誰もが掟を求めているのにその門には誰もやってこな
かったがどうしてか」と言った、すると門番は「この門はお前一人のための門だっ
たのだ」と言って門が閉ざされた>という話である。
随分と示唆に富んだ話ではないか。要は自ら一歩を踏み出さないと前には進まない、
自分でしか道は切り拓けないと言うのだ。この話から今の混迷した世の中では次の
ようなことが言えるのではないだろうか。
まず指示待ちだけでは進歩がない、「何とかなるだろう」では問題は解決しない、
自らのアクションが無ければ道は拓けないということが言える。とかく原因ばかり
を挙げて躊躇していては前には進めない、前提条件を踏まえて如何に行動するかが
まさに問われているのではないだろうか。他責では何事も解決はしないものだ。
また問題の先送りは決して良い結果を生み出さないものである。今あらゆる組織で
問題の先送り事例が多いが、ますます解決が難しくなってくるのではないだろうか。
筆者の経験ではあるクレームの先送りをしたことがあったが、どんどんと問題が
大きくなり解決が難しくなったことを思い出した。適当なる「間」は必要かもしれ
ないが「逃げの間」は禁物である。そう!逃げてはだめで、逃げたら追っかけられ
るものだ、追っかければ道は拓かれると肝に銘じたい。
兵庫県但馬の偉人であり教育者であった東井義雄さんが言われた「夜が明けるから
陽が昇るのではない、陽が昇るから夜が明ける」という言葉を思い出した。
2010/02/07 09:12