朝日新聞の天声人語に次のような文面が掲載されていた。「京都には名のある庭が
数多(あまた)ある、その京に暮らした詩人の天野忠が語ったそうだ、庭の良し悪
しは厠(かわや)の小窓からのぞき見するとよお分かります、庭が油断してますさ
かい」文学者の杉本秀太郎さんが著書「火の用心」で回想しているとあった。
誠に的を射た素晴らしい言葉ではないか。
油断していると即実態が見えるものだ。人は目に見える部分はかっこをつけている
ことが多い。もう数多く報道されているがイギリスのブラウン前首相が選挙の遊説中、
支持者の女性と移民問題で立ち話をした、笑顔で応じたが車に乗ってドアを閉めると
「あんなのと話をさせるな」と本音をもらしたら、外し忘れたピンマイクに拾われ
大問題になった出来事は記憶に新しい。
そう言えば以前ある企業で笑うに笑えない話を思い出した。ある中間管理職が、その
上司にこっぴどく叱責され相当頭にきたことがあった。イライラしてトイレに入ると
仲間がいたので、その上司の悪口を散々言いまくったようだ。ところがトイレの個室
にその上司がたまたま入っておられたと言うのだ。その上司は出るに出られず彼の
不満話の内容をすべて聞いてしまったのである。もう最悪の事態である。数時間後
彼は上司に呼ばれてまたまた厳しい叱責を受けたのは言うまでもない。またある企業
ではカーテンで個室になっていた居酒屋で叱られた上司のこきおろしをしていたとこ
ろ、隣のカーテン越しに偶然上司がおられすべて筒抜け、こっぴどく叱られたと言う
話も聞いた。叱った上司は感情的になっていなかったのか、愚痴を言った叱られた
人はどのような気持ちだったのだろうか。お互いに冷静になって話し合いが出来な
かったのだろうか。感情のぶつかり合いからは何も生まれない、お互いに言いたい
ことが言えて、素直に否があれば認め謝罪する気持ちがなければますます溝を深めて
しまう。面従腹背では組織は崩壊であり、生産性も上がらず「形」のみになってしま
う。今こそ相手の立場に立って「気楽にまじめな話が出来る」職場作りが求められる
時はないだろう。
2010/05/16 09:14