あの未曾有の東日本大震災から約2ヶ月過ぎに、以前講演させていただいた東北
地方のある企業のご担当の方にお見舞いのメールを差し上げた。すぐにご連絡す
べきだったがかえってご迷惑をおかけするし、落ち着かれたころと思い遅れてし
まったのである。メール返信があるかと心配をしていたが、何と便箋4枚にわた
るご丁寧なお手紙を頂戴した。そこにはご自分を含めご家族はご無事だったが社
員の方々やそのご家族が犠牲になられたとのこと、すさまじい被害状況、また全
国各地から温かいお見舞いや励ましの言葉に対しての感謝、そして被災地の復旧・
復興に全力でお取り組みをされている旨の熱い思いがこもっていた。凄いお手紙
をいただきびっくりしたのである。メールで差し上げた自分自身が恥ずかしくな
った、そう肉筆で書かれたものがどれだけ温かいものかを改めて感じたのである。
私は失職後IT会社に再就職したが、その時私だけはまだ消しゴムを使っていたが、
最期は消しゴムが消えてしまったことが思いかえされる。今はパソコンにおされ
て手書き文化は何か消えそうな世の中ではないだろうか。最近は私も漢字の読む力
はまだあるが、書く力の無さに悩んでいる。友人が「写経」をしていると聞いたこ
とがある、「写経」とは仏教において経典を書き写すことである。その時にいろい
ろな思いや気持ちの整理、自分なりの意味の解釈が出来るのであろう。先日朝日新
聞の天声人語欄に多くの方々が「筆写」されている記事が掲載されていた。専用の
書き写しノートがあるらしく好評とのこと。文字を書き写す時間には豊な静謐<せ
いひつ>(辞書によると事件がなくて穏やかな様子とある)があるように思うと記
載されていた。キーボードでは得られない「手と心」の一体感があるともあった。
そう昔は職場の仲間の肉筆を見て誰が書いたのかはすぐに分かった時代があったが、
今の職場は如何なのだろう。私もメールに頼りきっている自分に気づき、もっと筆
まめにならなければいけないと思うお手紙をいただいたのである。
2011/06/10 06:59