人と組織研究所 気づきナビゲーター 高橋貞夫

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2011年8月 9日

チリ33人(ビジネスサプリメント472号)

昨年の夏に起きたチリ鉱山での落盤事故は記憶に新しく、事故から69日後に全員が

無事に救出された感激の映像が放映されていたのは忘れられない。

「チリ33人~生存と救出、知られざる記録~」と題した本が出版され、大塚常好氏

の書評が日経ビジネスに掲載されていた。危機を乗り越えたリーダー像が生々しく

語られている。この本はリーダーが生きる希望が見出せない状況下でどのように

33人を統率していったかの記録でもある。評者が注目されたのは、地上から掘り

進めたドリルの先端がやっと33人の避難エリアに到達し、細いトンネルを通して

食料などが供給出来るようになるまでの17日間だった。気温は30度以上、湿度も

90%以上と言う極限的な拘禁状態だ。想像しても誠に厳しいことこのうえないし、

全員が「ほぼ絶望」と考えておられたのも不思議ではない。「生きる」と言うこと

に直面すると「食料」の問題があった。真実は全員がパニック状態で、個人個人が

勝手に動き回り、派閥をつくり統制不能だったようだ。破綻する組織も次元は違う

がまさに似たような状態ではないだろうか。そこで33人を束ねた2人のリーダーが

現れたのである。冷静沈着なリーダーとややひょうきんなリーダー、シェルターに

保管していた食料は、事故後すぐに厳重な監視下に置かれ近づけるのは2人のリー

ダーのみ、33人に平等に食料が配給されるシステムが作られた。2人が独裁的になら

ずに役割分担してあらゆることを全員の民主的な投票で実施したらしい。食事を

する時は33人が全員に食べ物がいきわたったのを確認して、一斉に食べると言う

ルールも徹底したのである。長期の危機管理のポイントは短期とは違って「同じ

目線で、民主的なルールを作り、全員が平等である」と言うことを徹底すること

ではないだろうか。かなり以前だが新田次郎氏の「八甲田山死の彷徨」と言う本が

出され映画にもなったことがあった。危機に直面しリーダーのあり方で生死が決ま

る時のリーダーのあり方を示唆していたので、幹部教育の題材にした記憶がある。

危機管理と言ってもカリスマ的なものが求められる場合と、民主的なものが求めら

れる時とはどうやら違うようだ。いずれにしても危機時のリーダー不足は否めない

昨今である。

2011/08/09 06:00 |

2011年8月 1日

気づき(ビジネスサプリメント471号)

以前お手伝いした企業で30歳代のまだ若手男性社員の方を思い出した。

彼は仕事に対する意欲がなく、言われたことだけを処理すれば良いと言う考え

方で、余計なことは口を挟まないのが一番良いことなのだと思い込んでいた。

この方と計5回の個別ヒアリングをさせていただいた時のことである。最初の

数回は全く聞くスタンスがなく、変わろうとはされていなかった、そこで

「自分の人生設計やキャリアプラン」について一緒に考えようと言うスタイル

に変えていったのである。会社のためではなく「自分のため」に考えるように

仕向けたら、どうして彼がそのような考え方になったのかを率直に話されるよ

うになった。以前に上司とぶつかり、いろいろとものを言ってきたが、ガツン

と言われもう言ってもムダ今更転職も出来ない、辞めさせられることはないので

楽に仕事をしようと思い込み始めたらしい。まるで学習性無力感(水槽にカマス

を入れて透明の仕切り板を真ん中に差し込み、仕切り板の向こうには餌を吊るす

とカマスは食らいつきに行くが板で取れない、何回行ってもダメと言うことを

思い込み、仕切りが取れても行かなくなる)に犯されていたのである。もちろん

職場の雰囲気も育てると言う風土がやや欠けていた。彼に「あなたは外部で

通用する力があるのか?」と問いかけてみたら、自分には何もない、このままで

は人生を無駄にしてしまうと感じ始めた。言われるのを待っているのではなく、

自ら動いていかないことには自分のものにならない、自分を高めることが結果と

して組織から認められるのではないかと考え方に徐々に変わり始めた。今までは

地位なんてどうでも良いと考えていたが、より大きな仕事をするためには良い

意味での上昇志向が無ければならないとも感じたらしい。上司に彼の様子を尋ね

ると、この頃積極的になってきたとのことだった。今彼はリーダー職になり、

現場に入り込んで伸び伸びと仕事をされているようだ。やはりレディメード型の

ヒアリングよりも、個人にあったオーダーメイド型ヒアリングを根気よく続ける

ことで「人は変わる」のである。

2011/08/01 05:57 |

2011年8月19日

相手の立場(ビジネスサプリメント473号)

個人別ヒアリングをしていて一番情けないと思うことは、部下の手柄は自分の

手柄、自分のミスは部下のミスと言うマネジメントをする上司がかなりいると

現実である。ある時に聴いた次のような話がある。部下が懸命に努力して準備し

ほぼ見通しがついた案件があった、今まで何にも言わなかったしアドバイスも

なかった上司が急に動き出しいかにも自分が成約したごとき振る舞いで相手先に

顔を出したそうだ、そして部下に上手く行ったので後は頼むと言うではないか、

驚いた部下は急にヤル気がなくなり上司に対する信頼感も全く無くなったとか。

またある議案で部下から決済があがったので上司は承認印を押した、その後検証

の結果は没案件となったが、上司は部下を責め立てたとか。上司としてあるまじき

行動であり論外であることは言うまでもない。他のメンバーに聴いてみるとほぼ

全員が上司の批判、面従腹背しているとのことだった。

先日の日経新聞の社説に「創造へのバネを」と言う項目で復興構想会議の五百旗

頭議長が披露された終戦時のピソードが掲載されていた。ハワイ州の知事をつとめ

た方が昭和20年、廃墟の東京にやってきた。暮れに有楽町の高架下から街角を歩い

ていて、少年に靴磨きをしてもらった。心を込めて一生懸命にやってくれたので

感心し、兵舎に戻ってパンにバターとジャムをいっぱい塗り、少年にプレゼント

しようと引返して「これを君にあげるよ」と手渡したそうだ。腹ペコだからその場

でかぶりつくかと思ったら、7歳という少年はそのまま風呂敷にしまった。「なぜ

食べないの?」と聞くと「家に3歳の妹が待っていますから」と答えたそうだ。

わんぱく盛りの男の子が、ひもじさを我慢して、妹のためにパンを持ち帰ろうとす

る姿に感銘されたのである。その方は「物としての日本は壊れたが、日本人の心は

失われていない、必ずや日本民族はよみがえる」と確信されたとのこと。同じ日の

朝日新聞に自らも奥様が犠牲になられた岩手県陸前高田市長の戸羽太さんの記事が

掲載されていたが何よりも心にやきついたことは市長が「自分が被災者なら」と考

えて欲しいと言われていることだった。そう最初の話の上司も「自分が部下の立場

だったら」を考えることが出来なければ、この組織の崩壊は目に見えているような

気がする。

2011/08/19 07:46 |

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