人と組織研究所 気づきナビゲーター 高橋貞夫

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2014年2月 1日

トップの言葉(ビジネスサプリメント573号)

最近の企業の不祥事におけるトップのお詫び会見を見ていて、危機になってからトップが力を発揮するというのはなかなか難しいのではないかと思うことがある。やはり平常時にどんなリーダーシップを発揮しているかが問われると感じる。日ごろのリーダーシップ力が有事や危機の時にはっきりと表れてくるのではないだろうか。最近のトップのお詫び会見にはうんざりすることが多い。現場の状況が把握出来ずに、断片的な情報ばかりを聞かされているような気もする、従って述べる言葉がコロコロと変わることが多い。要はトップが「現場が命」であることを忘れているのではないかと思わざるを得ない。
しかしトップといえども現場に直接指揮のしようがない。日ごろから部下との価値観を合わせて、現場を鍛え信頼し、彼らのやることを認める体制ができていれば命令しなくても現場は見事に対処するものだと思う。
危機の時トップは動いてはダメと言われるのは当然だが、動いても良い組織が出来上がっておれば問題は起こらないのではないだろうか。
最近の有事の時や、不祥事の時によく使われるトップの言葉の無責任さやあいまいさの言葉を考えてみた。まずは「遺憾に思う」、これは「思い通りにことが進まず誠に残念である、期待したようにならずに心残りに思う」と言う意味なのだろう。誠に無責任極まりない言葉であるが、非常に綺麗に聞こえるが「あなたの責任は?」と問いたくなる。また「真摯に捉えて」これは「まじめでひたむきに、軽くは考えていません、現在懸命に対応しています」と言う意味なのだろうが非常にあいまいに感じてしまい、何となく理解はできそうだが「当たり前でしょう、いまさら何を言っているの?」と思いたくなる。
「二度とこのようなことが起きない様に取り組んでまいります」も多い言葉だが、どのように具体的にカイゼンしていくのか全くもって見えないことが多い。早急に改善具体策があってしかるべきだ。
また「~ところであります」もよく耳にする。「今継続して懸命に取り組んでいますよ!」と言うような響きに聞こえるからだろうか「結果はどうなるか分かりません」とも受け取れる。
危機の時のトップの一言は抽象的なものであってはいけない、現場目線でどれだけ「納得出来る言葉」が発せられるかが問われているような気がする。
危機をチャンスに変えるのは誠意ある迅速な「トップの言葉」ではないだろうか。

2014/02/01 13:51

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