最近の世界的金融危機や暗いニュースばかりの世の中で、アメリカの
オバマ次期大統領の「言葉の力」にはいささか驚いた。「Yes We Can!」
には迫力があり人を引き付ける力を感じる。
歴代のアメリカ大統領リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」
やケネディの「国が何をしてくれるかではなく、自分が国に何が出来るかを問え!」
にも凄い言葉の力があった。
日本では米澤藩を建て直した上杉鷹山の「成せばなる、成さねばならぬ何事も、
ならぬは人の成さぬなりけり」も素晴らしい言葉だ。
そう!リーダーの言葉は計り知れない力を全員に与えるものだ。
言葉というものは「内に秘めたマインドから生まれる」のである。
「7つの習慣」という本にも述べられていたが、
下記の印象的なポイントは参考になる。
①どうしようもない→代替案を考えてみよう
②そんなことが認められる訳がない→効果的なプレゼンテーションをしよう
③しなくてはならない→そうすることに決めた
④○○が出来ないとだめだ→○○の方が良いと思う
⑤○○でさえあったら→私が○○をする
ネガティブに考えては前に進まない、ポジティブに考えることが大切なのである。
「ねばならない」からはは成果は見えないし「しよう!」からは見える。
成果=能力×意欲×考え方と言われる。自分の能力に磨きをかけて、
モチベーションを高め、考え方をしっかりと持つことがこの混迷の時代に最も
求められるのではないだろうか?
主語は「他」ではない「自分」なのだ。他責の文化は非常に楽であるが、
この考え方からは何も生まれない。
2008/11/26 08:00
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ある企業で中堅管理職の方とヒアリングをさせていただいた時のことである。
最初は非常に悩んでおられるようで反応が鈍く、覇気も全く感じられなかった。
ご性格からくるのもあったが、人間関係で悩んでおられた様子でもあった。
何回かお話をしていると「仕事は好きだが、人のマネジメントは苦手であり
迷い道に入ってしまった」とご自分で話されたのである。
少し気づきが出てきた証拠、上司の方や部下の方にもそれとなく聞いて見たら、
少しは明るくなられたようだった。
私は思い切って「役職と仕事」の両立は難しそうなので、どちらを選びたいのか?
を確認してみた。そうすると「仕事に打ち込んでいる時が一番楽しい」とお話になる。
その意を受けて上司の方も思い切って彼の役職をはずし、新しい職場で好きな
仕事に打ち込める状況を作ってあげる決意をされた。
異動後に彼とヒアリングをしたら終始笑顔で話されるではないか。
驚いたのは彼の口から「今回は私にとって最後のチャンスですね!」と言われた。
正直びっくりしたが、そう「後はあなたが実績を残し自分にも会社にもプラスに
なるように実践するしかない」と申し上げた。
いくらお話しても「ご自分で気づかれないと次の道は拓けない」。
今回のヒアリングの場は彼の「踊り場」だったのではないか?
一度着地して、機体整備・燃料補給をして次へのフライト(新しい出発)の場
だったのである。この方の新たな道が拓けることを期待するし、
これからの彼の活躍が楽しみである。
2008/11/19 11:49
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今の世の中は「鬱」という言葉がよく出てくる。
「躁」ばかりの人にも良く出くわすが、人間だから「躁気分もあれば鬱気分」
もあって当然である。
先日五木寛之さんと香山リカさんの対談新書「鬱の力」という本を読んだ。
「鬱」という言葉は広辞苑で調べると「草木の茂るさま、物事が盛んなさま」
とあるそうだ。「鬱蒼たる樹林」は肯定的な意味であり、エネルギーと生命力
がありながら、出口を塞がれていることから中で発酵するものが「鬱」だと
話されている。そう!エネルギーがある証拠なのである。
出口さえ見つかれば大きな力となるのだ。その出口が見つからずイライラし
「鬱気分」になるのである。
従来「鬱傾向」の人は几帳面・まじめ・完全主義などの性格特性があると
言われているが、全て素晴らしいことなのだ。
前向きなスタンスの持ち主と言っても過言ではない。
要はその思いの発露の仕方がわからないのである。単純には言えないが、
それさえ「気づきのナビゲート」をしてあげれば解決する場合が多いのではないか。
ただし「鬱気分」と「鬱病」とは全く違うとも述べられている。
「鬱病」は休養と治療が必要なことは言うまでもないが、「鬱気分」を一言で「鬱」と
解釈することはおかしい。「鬱陶しい天気」や「鬱陶しい気分」は良くあること。
その見分けは大変に難しいが、先日のブログで述べた「オンタイム鬱」は仕事が
大変だから「鬱気分」になったのではなく、仕事の大変な状況に直面したくない
からなるのだろう。したがってドクターに「鬱病」と書いてくださいと要望する輩が
出てくる時代なのだ。
何でも「鬱」に結び付ける風潮を考え直さなければならないのではないだろうか。
2008/11/12 22:11
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随分昔の名著中根千枝氏の「タテ社会の人間関係」の新書を書棚から
取り出した。もう黄ばんでいたが昭和42年版であり、価格は220円で
あるから驚きであった。
著者は「ウチ、ヨソの意識が強く、この感覚が尖鋭化してくると、
まるでウチの者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な
人間関係のコントラストが、同じ社会に見られるようになる。
知らない人だったら、突き飛ばして席を獲得したその同じ人が、
親しい知人―特に職場で自分より上の人―に対しては、自分がどんなに
疲れていても席を譲るといった滑稽なすがたがみられるのである」と
述べられていた。今の時代はこのようの若い人は少なくはなっただろうが、
凄い洞察力に感心し感銘を新たにした次第である。
企業の個別ヒアリングをしていて、組織の大きさに関わらず部門間連携が
誠に弱いケースに出くわす。まさに「タテ社会の人間関係ばかりで、
横串がないのである」。
世の中は金融大混乱で世界が協調して緊急の対応策をとらないといけない
時を迎えている。今まさにグローバルな時代なのだ。にもかかわらず
部門間意識が強く「我々の部門は関係ない」なんて言葉が飛び交うことは
「組織がかなり重度のメタボリックシンドローム」に侵されて証拠である。
論理より感情が優先し、好き嫌いが出すぎているのも大きな原因の一つである。
このような周りの環境がますます厳しい時代こそ、部門の壁を取っ払って
「情報を共有し風通しの良い組織」作りが求められている時はないと感じる。
2008/11/05 16:28
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