人と組織研究所 気づきナビゲーター 高橋貞夫

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2010年2月14日

3つのR(ビジネスサプリメント406号)

日経新聞に3つの「R」で賢く倹約と題された記事が掲載されていた。

景気後退で一段と消費マインドが冷え込んだことが原因で、リペア(

Repair=修理)、リユース(Reuse=再利用)、レンタル(Rental)の3つの

「R」を駆使して上手に節約する時代になったようだ。「長く使いたかったし

価格が高い」からと言うことでブーツの汚れ落とし、すり減ったかかとの張替

えをする、また携帯電話も無料で汚れを落としてくれるうえ、問題点があれば

すぐに修理に回せる点が人気で、端末代が高くなったために長く使う人が増え

ていると言う。ボールペンの替え芯も不況で職場の備品購入費が減り、会社員が

文具店で替え芯を購入する需要が11月頃から増えて詰め替えが多くなったようだ。

またシャンプーも本体の試し買いから詰め替え用を購入する人が急激に増えた。

長期間使わないならレンタルで済ませようと言うことで車のレンタルも増えたし、

少子化の時代ベビー用品はレンタルが当たり前となっている。結婚などで家具を

揃える時に費用を抑えたい夫婦らが婚礼家具までレンタルすると言うではないか。

高級ブランド品のレンタルも、申し込んだらその場で借りられるものが人気で値段

もお手軽だ、大手のブランド品レンタル会社では数ヶ月で会員数が倍増したようだ。

消費者は新規に買うよりも3つの「R」で合理的でムダ減らしに励んでいる時代に

突入したようである。省資源やエコ対策的は素晴らしいことなのだが、消費の

冷え込みは深刻な状況になっている。倹約とは「浪費は罪悪だと言う見地に立って」

むだ使いをしないようにして、費用を切り詰めることであるが、本当にこの傾向だけ

で良いのか少し疑問でもあるような気がする。経済が縮小のスパイラルに陥って

しまうのは怖い。「Re」とは再び、もとへ、と言う意味以外に「新たに」と言う

意味もある。再びとか、もとへも非常に大切なことであるが、「新たに作り出す」

と言う考えも必要ではないだろうか。閉塞した社会の中ではポジティブマインドの

醸成を忘れてはならないように思う。この状況を打破するには倹約とのバランスを

保った新たな「Reborn=生まれ変わる」が今ほど求められている時はない

2010/02/14 07:38 |

2010年2月 7日

掟の門(ビジネスサプリメント405号)

ワランツ・カフカの短編に「掟の門」という寓話があるが次のような内容である。

<田舎からある男が掟の門の前にやってきた、門は開かれていたがその門に門番が

立っている、男は入れてくれと言ったが「今はダメだ」と答えた、「後でなら、

入れてくれるのか」と門番に尋ねると「そんなに入りたければ入っても良いが先に

行けばもっと怖い門番がいるぞ」と言うではないか、そこで男は怖くて中に入れ

なかった、長い年月が経ってやがてその男の最後の時がきた、男は門番に向かって

最後の問いかけをした、「誰もが掟を求めているのにその門には誰もやってこな

かったがどうしてか」と言った、すると門番は「この門はお前一人のための門だっ

たのだ」と言って門が閉ざされた>という話である。

随分と示唆に富んだ話ではないか。要は自ら一歩を踏み出さないと前には進まない、

自分でしか道は切り拓けないと言うのだ。この話から今の混迷した世の中では次の

ようなことが言えるのではないだろうか。

まず指示待ちだけでは進歩がない、「何とかなるだろう」では問題は解決しない、

自らのアクションが無ければ道は拓けないということが言える。とかく原因ばかり

を挙げて躊躇していては前には進めない、前提条件を踏まえて如何に行動するかが

まさに問われているのではないだろうか。他責では何事も解決はしないものだ。

また問題の先送りは決して良い結果を生み出さないものである。今あらゆる組織で

問題の先送り事例が多いが、ますます解決が難しくなってくるのではないだろうか。

筆者の経験ではあるクレームの先送りをしたことがあったが、どんどんと問題が

大きくなり解決が難しくなったことを思い出した。適当なる「間」は必要かもしれ

ないが「逃げの間」は禁物である。そう!逃げてはだめで、逃げたら追っかけられ

るものだ、追っかければ道は拓かれると肝に銘じたい。

兵庫県但馬の偉人であり教育者であった東井義雄さんが言われた「夜が明けるから

陽が昇るのではない、陽が昇るから夜が明ける」という言葉を思い出した。

2010/02/07 09:12 |

2010年2月28日

団塊クレーマー(ビジネスサプリメント408号)

拙著「団塊の転職」を上梓した時にタイトル名をつけるのに悩んだことがあった。

「団塊」とは堺屋太一氏が命名された言葉であるが、皆さん日本の高度成長を支え

てきたプライドと自負心がある。その世代が人括りにされることに抵抗感がある

ような気がしたものだった。ある人から「塊みたいに言って欲しくない」と言われ

たことを思い出した。そんな時に日経ビジネスに「団塊モンスター」なる特集が

掲載されており、その世代が定年を迎えた今、クレーマーとして増えてきたと

掲載されていた。時間が余っているのに趣味がない、そこで会社にコールセンター

があったことを思い出し内容を考えてクレーマーとなるようだ。例えば「御社の

経営方針に意見があるから社長室につないで欲しい」とか、ある日用品メーカーに

「カタカナの商品名では中身が何かすぐに分からない、中身が洗剤とすぐ分かる

ようにすべきだ」など製品とは直接関係のない意見も目立つとあった。

特徴としては

①自分は自分を客観視できると思っている
②自分の知識と経験を生かした改善提案を好む
③同世代が何を考えているのか気になる

ものらしい。団塊の世代は大人数の中で競争に勝ち抜き人や組織を動かしたので、

どうしても「上から目線」でものを言うことが多い。知人のお客様相談室の責任者

からも「確かに団塊の世代からのクレーム」が増え、一筋縄では納得させられない

と言う嘆きを聞いた。まだまだ元気なのである、誠にもったいない話ではないか、

その元気さを今の世の中でもっと良い意味で活かすことは出来ないだろうか。

周りの人間は部下ではなく、後輩や仲間なのである。そのことに気づいてイキイキと

活躍されている方も大勢おられる。

継続雇用で「技術の伝承役」として、あるいは「地域社会のボランティア」として

活躍する場面も多いはずである。それこそ自分を客観視して、自らの気づきを喚起

させ、あり余るエネルギーを活かしていって欲しいと感じる。

2010/02/28 08:19 |

2010年2月21日

指摘する勇気を持とう(ビジネスサプリメント407号)

先日電車の優先座席に座った時のこと、前の席の若い男性が盛んにメールを

していたのである。周りの視線も彼に集まっている。私は注意しようと思った

がタイミングを失してはっきり指摘出来ないようになってしまった。恥かしながら

「私が言ったところで何になる」「もし文句を言われて危害でも加えられたら」

なんてつまらない意識が働いたのが正直なところであった。そうすると彼の隣の

席の中年女性が「ここは優先座席だから携帯はだめですよ!」と言われるでは

ないか。言われた彼は「すみません」と素直に謝罪され、気まずい雰囲気は全く

なかった。その時の私はストレートに指摘する「勇気」がなかったのである。

そんな私が偉そうに言えないが、今の世の中「自分には関係ないこと」と思う

風潮が広がっているような気がする。

振り返って各職場の中を見てみたら如何だろうか。上司や同僚・仲間がルール・

マナーを守っていなければ、お互いに注意し合える風土になっているだろうか。

「うるさいことを言う人と嫌がられはしないか」が先に立ち見て見ぬふりをして

しまうような状態は非常に危険である。ましてや部門が違えば全く関心を示さず

「見ざる・言わざる・聞かざる」の職場を数多く見ている、そんなところは必ず

「あいさつ」すら満足に出来ていない。またついうっかりで気づかずにマナー

違反をしている場合も多いのではないか。公共広告に出てくるような場面は

お互いに素直に注意・指摘が出来る職場でなければ強いチームワークは醸成

されない。人間は「関心を持ってもらいたいものなのである」、無関心は一番

辛いものだ。お互いに良い意味で関心を持ち合う職場、まじめに気楽な話が出来る

職場、おかしいことは、おかしいと素直に言える職場こそ、イキイキとした風土が

醸成され、お互いにチームワーク良く生産性もアップするものである。

今のような混迷した時代、組織メンバーが「気づいたことをはっきりと言える勇気」

を持ち、「決められたマナーやルールを守る信念」が貫かれたチーム作りが急がれる

のではないだろうか。

2010/02/21 07:52 |

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