改正高年齢者雇用安定法の施行により、各企業が①定年再雇用②定年延長
③定年の廃止とそれぞれの対応をされている。その殆どが再雇用制度で、
給与は約半額以下、役職はなく1年契約などが圧倒的に多い。
働ける喜びはなにものにも変えがたいし、非常にありがたい制度であることは
間違いない。しかし同じ職場で働く場合に一度定年と言う区切りをつけてしまうと、
働く意欲が落ちるのではないだろうか?
「さん」付けで呼んでいる会社は良いが、肩書きで呼んでいる会社で若手社員が
定年を迎えた方を、いきなり「○○部長」から「○○さん」とは切り替えにくい。
そうすると本人は何時までも「部長」が消えず、やがて職場では浮いてしまう
ケースが多い。技術の伝承役として特別扱いで処遇されるならまた違うだろうが、
殆どは伝承するほどのスキルは持ち合わせていないのも真実である。
定年延長をすれば企業のコストがかさむし費用対効果を考えれば避けたいのが
経営者の本音だろう。ある企業では「ポストと連動した資格を基に賃金を設定した
ものに変え、定年延長を利用する人が多くなっても、ポストが増えない限り、
総人件費は増えない仕組み」をつくられたと聞く。
ポスト見合いで能力のある人に頑張ってもらう仕組みなのだ。
団塊の世代退職、人材難に危機を感じた大手が最近はまた新卒を大量採用して
いる現状は嘆かわしい。60歳超でも意欲を出して働いてもらわないと、
若手の教育にはならず弊害になっているケースを垣間見ることが多い。
昨年は65歳以上になっても企業で働く人が200万人を超えたそうだ。
定年後の社員の活用を真剣に考える企業は強い。
2008/08/28 09:36
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大手企業で成果主義を廃止するところが増えてきている。優秀な若手育成と
成果主義で一定の成果を反映した反面「短期的に物事を捉える傾向があり、
職場にしらけた雰囲気が蔓延」するなどの弊害が出始めたのである。
経営の要素の中の一番大切な「人」を資産と見るか、コストと見るかに大きな
違いが出てきた。日経新聞に「情的資本(エモーショナル・キャピタル)」と言う
考え方があり、社員の「情熱」や「感情」を重要な経営資源と見る考え方があり、
組織や労働者の活力を鼓舞して価値を生むとあった。
今こそこの考え方が求められているのだ。
社員の「意欲」が大事であり、景気後退で市場環境がますます厳しくなる現在
「利益」と「社員の達成感」をどのように結び付けられるかが大きな今後の課題
であることは言うまでもない。
仕組みづくり、ISOの取得、新制度の構築などいろいろと手は打たれているが、
一番大事なのはその「運用」なのである。
今あまりにも「スキル」や「ノウハウ」を求めすぎていないだろうか?
建物も基礎作りが出来ていないと、もろく崩れ去る。
そのためには「現場こそ命」と言う考え方を無くさないこと、
常に目線は現場にある経営こそ今の時代に求められている。
たまには一緒に汗をかく、常に関心を示し気づけばアドバイスする風土からこそ
成果が出るのである。
私は「こころを重視してこそ、組織に活力が出る」事例を数多く見ている。
あいさつとは「あ」は明るく「い」はいつも「さ」は先に「つ」はつづけてと言うことと
聞いたことがあるが、こころを重視されている企業は
みなさん素晴らしいあいさつをされている。
2008/08/21 06:40
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先日、日経新聞の記事で「ストレス過労深刻に」と題しての記事が掲載されていた。
精神面でのストレスを理由とする過労労災が認められるケースが相次いでいるようだ。
2007年度には、精神疾患での労災申請が脳や心臓などの身体的疾患での申請を
初めて上回ったのだ。「自宅にまで仕事を持ち帰る」「長時間労働に加えて精神的な
負荷も増加」などなどが原因している。「経営効率化などで正社員が減り、
1人ひとりの仕事量が過重になってきたことが大きな背景」とある。
監督官庁の姿勢も次第に変わってきたようだ。
15年以上前だったが過労自殺に企業の損害賠償責任を初めて認めた事例を
思い出したが確か企業の損害賠償額ははるかに1億を超えていた。
EAPと呼ぶ企業のメンタルヘルス対策がとれる大企業は数少ない。
今中小・中堅企業における企業活動は誠に厳しい経営環境にあるのは否めない。
企業は「人」である、「お金」ではない。組織が正常に機能して真のマネジメントが
なされればこのような不幸な出来事は起こらない。
マネジメントリーダーとは「バイオリン奏者もピアニストも持っている力を十二分に
発揮させる素晴らしいオーケストラのコンダクター」のような存在でなければならない。
もちろん日頃からの点検(常に部下に関心を持ちナビゲートする)を怠らないことは
基本である。対策とは後手に回ることである、経営者を含め管理職の
真のマネジメントの認識がもっと必要ではないかと感じるこの頃である。
2008/08/14 17:12
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もう30年以上前の話である。D・カーネギーの話し方教室に夜半年間通った。
メンバーは確か老若男女15名ぐらいであったと記憶する。
仕事で疲れているのにしんどいなぁと思ったことは度々だった。
名著の2冊は読破しなければいけなかった。毎回各人が確か5分ぐらいの
スピーチをするのである。時間オーバーは許されなかったし、指導者はあまり
何も言われない。テーマが与えられたり、モノを使ったりいろいろなパターンが
あった。そして最後には参加者が「誰のお話が一番印象に残ったか?」を投票
し、1位になった人は確か「ボールペン」がもらえるのである。
私も必死でお話の組み立てをした記憶があるが、情けないことに1位になったのは
半年間で1回だけ・・・・・・・・・・
その時に講師が言われたのは「NHKのアナウンサーは素晴らしい話し方だが、
それを求めているのではない」と、要は「聴き手の心に如何に印象的にお話が
出来るのか?」が問われると言うことであった。
特に今でも印象に残っているのはある老看護婦の方のお話だった。
決して流暢な話し方ではない、訥々としたお話の仕方であるが
ある死の病に侵された患者さんとのお話であった。そのお話をお伺いして
、この方が献身的な看護をされている様子が目に浮かんだのである。
私もこの方に投票したのを記憶している。そう!「講釈師見てきたような嘘を言い」
ではなく自分の言葉で心から話されているのである。
それ以来、私は出来る限り解説的な話はせず、実際に体験したり感じたりしたことを
分かりやすくお話するようにしている。
この体験が今の仕事につながっているのではと確信する。
2008/08/07 05:49
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最近D・カーネギーの名著「人を動かす」「道は開ける」が良く話題になっている。
書棚から引き出して見たら、「人を動かす」は何と初版は昭和33年11月であった。
「道は開ける」は昭和34年12月である。
私のものは昭和47年・48年版でありそれぞれ600円、680円であったがもうかなり
黄ばんでいた。「人を動かす」に何と付箋を付けていた、「人を非難するのは、
ちょうど天にむかってつばするようなもので、必ずわが身にかえってくる」とあるでは
ないか。わが人生でどれだけわが身にかえってきたことか、恥ずかしくなる。
両著共社会は人間の集まりであり、人と接触せずには、1日も社会では暮らせない、
故に人間関係の調整ほど大切なものはない、つまずき失敗を繰り返しあげく「気づく」
のであると・・・・・・・・・・
そう今の時代こそこのような書物が求められるのではないか?
言い方は悪いがつまらぬノウハウ本を読んでも、決して役には立たないことが多いのが
現実である。両著はまさに永遠の名著である。
また「道は開ける」ではある人が「この本を常にベッドの側において、諸君の問題に応用
出来る個所には線で印をしておくといい」とある。
「道は開ける」の訳者が「人生は、人間に与えられたただ一度のチャンスである。
これを空費するのは惜しいように思われる。人間の<業>とも言うべき<悩み>
を克服して新しい生活の<幸福>をつかみたいと念願する人々に、この本をすすめる」と
書かれている。
そう!済んだことはことよりも「これからどのようにしたいのか?」を考えて見たいと思う
名著である。次号は昭和40年代に「デールカーネギーの話し方教室」に
夜間半年通ったお話をして見たい。
2008/08/01 09:44
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