人と組織研究所 気づきナビゲーター 高橋貞夫

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2008年12月19日

雇用のジレンマ(ビジネスサプリメント345号)

今月に入り派遣社員など非正規労働者の削減が異常なほど進んでいる。

非正規労働者はすでに全労働者の3分の1を占めており、今後はより大きな

削減圧力が加わってくる可能性が大きい。

非常に大きな社会問題であることは間違いない。

まさに雇用の「ジャスト・イン・タイム=必要な時に、必要な人を、必要な人数だけ」

のように思えてくる。経営的立場なら非正規就業を望む労働者もあり、

今やグローバル化に伴う時代の流れであると言う考え方もあるだろう。

低いコストである非正規社員の活用は財務的には正しい選択肢の一つ

かもしれない。しかし働く人の立場から考えると誠に厳しすぎるものもある。

職場は正社員をぎりぎりまで減らしたところで何とか踏みとどまっているが、

その正社員まで減らせば、「モチベーションは下がり、品質低下などの副作用」

も出てくることが非常に怖い。私も過去に苦渋の決断を迫られたことがあったが、

組織は目に見えない不信感が蔓延し生産性は著しく落ちたことがよみがえってくる。

雇用減は景気を冷やすし、景気後退は雇用を減らす。

まさに雇用のジレンマになってしまう。正社員の削減にまで踏み込めば企業の

存続まで関わり、ためらえば過剰人員で最悪の事態を招く可能性もある。

ショーペンハウエルの「ヤマアラシのジレンマ」を読んだことがある。

「2匹のヤマアラシが寒いからといって寄り添いすぎると、相手の針で体に傷が突く、

離れすぎると今度は寒い、そこでお互いに傷つけあうことない暖かい距離を見つけ

出した」というものだ。

雇用にこのような距離を見つけ出すことは出来ないものかと思う毎日である。

2008/12/19 11:12 |

2008年12月17日

2,5人称の視点(ビジネスサプリメント344号)


柳田邦男さんが朝日新聞に掲載されていた「2,5人称の視点」は大変興味深い

考え方だと感銘を受けた。

即ち1人称は「自分」、2人称は「相手」、3人称は「第3者」と一般的には考える。

当事者意識や自分事と解釈することは「1人称」であり、相手の立場を考えて

感受性を深めることは「2人称」、当事者ではなく客観的な立場で冷静に見ることは

「3人称」とも言えるのではないか。

専門家の客観的な立場で割り切って考える「3人称」的な癖がつくことは、

ある意味では非常に無責任で怖いことではないかと思うことがある。

結果をコメントすることは何とでも出来るが、その結果を招かないようにすることが

大事なのだ。

柳田さんは「2,5人称の視点とは問題が起きている、そこに生きる人はどんなことに

困っているのか、背景は何だろうか、心の痛みを突き放さず専門的な普遍性を併せ

もつ温かい心」と話されていた。

講演をしていても、よく理解されるのは「自分自身の体験談」である。

聴いた話や、作った話では相手の心に訴えることは出来ないと感じることが多い。

それは体験談が聴衆者に「3人称」の話では伝わらず、「2,5人称」の話として

伝わるからではないだろうか。3人称ではなく「一歩踏み込んだ2,5人称」で話すと

聞き手は、「1人称=自分事」に置き換えることが出来るのだろう。

「講釈師見てきたような嘘を言い」なんて言葉があるが、結果論やあるべき姿を

単に述べたところで何のインパクトもないし、感じることも少ないのではないか。

コーチングにしてもいくらスキルをマスターしても「3人称」で接していては

上手くはいかないだろう。1人称と2人称を踏まえた2,5人称的な考え方で、

接していくことの重要性を改めて感じたのである。

2008/12/17 09:51 |

2008年12月10日

他責にしていないか(ビジネスサプリメント343号)

私の震災後の人生はまさに波瀾万丈であった。

「何でこのような目にあうのか?」を随分考えたことも数々あったが、

今は全て「糧」となっていると考えるようにしている。

不遇を嘆いたところで何の解決にもならないし、克己心が大事である

と気づいた。

関西人なので「阪神タイガース」を応援しているが、今年は13ゲームも

引き離しながら、とうとう追いつかれ優勝出来なかった。

選手の技術や故障が原因ではないだろう。

失礼だが「チームメンバーの気の緩み」がこのような結果となったのではないか。

「チームメンバーが一丸となる大切さを忘れていたかもしれないし、闘争心が

何処かへ消え去ったのかもしれない」。負のスパイラルになったのだろう。

企業コンサルにおいても「会社の方針が分からない」「上司に恵まれない」

「結果のみでプロセス評価をしてくれない」など不満が爆発しそうな方に良く出くわす。

以前の私もそのようなことを言っていたが、他責は楽なのであるが前には進めない。

この大きな壁を乗り越えなければいけないのだ。

「不遇」だとか「何でこのようなことになるのか?」と考えずに

「自分に負けていないか?」を自問自答してみよう。

「自分に負けている」から他責になるのである。

「自分に負けない強い気持ち」がこの大混迷する世の中で一番

必要なことではないだろうか。

自分に確かな力と気持ちがあればきっと夜が明ける。

陽が昇るのを待っていては夜が明けることはないかもしれない。

周りの意見を良く聴き、ポジティブに考えれば「不遇」と思っていたことは

「チャンス」になると信じて進みたいものだ。

2008/12/10 15:25 |

2008年12月 3日

人材はコスト?(ビジネスサプリメント342号)

最近の世界的金融危機からの不況感の蔓延は凄まじいものがある。

減収・減益、倒産など枚挙にいとまがない。厚生労働省が発表した

就業形態の調査によると労働者に占める非正社員の割合は37,8%となり、

実に4割弱になっている現実がある。前回調査(2003年)から3,2%も上昇

したのである。要は非正社員が雇用の調整弁なのだ。

解雇や派遣契約の打ち切りなどは連日報道されている。もちろん最初から

非正社員を希望している方は別であるが、そうでない場合は深刻な問題である。

短期的視点で「人材はコスト」と考えることが果たして企業経営の上で正しいもの

なのだろうか?企業は終身雇用を保証し、社員は忠誠心で応えるという時代は

過ぎ去ったかもしれない。つい最近までは団塊の世代が定年を迎えるということで、

新卒の信じられないような大量採用がまかり通っていた。

しかし今、内定取り消しが相次いでいるというではないか。「人材はコスト」である

と共に「人材は最大の経営資源」と捉える観点がどこかへ消え去っているような

気がする。今求められるのは「組織内で自立した人材」を如何に育てていくことなのだ。

会社にぶら下がる生き方はもう通用しないことはいうまでもない。

「仕事を通して自己実現や貢献度が感じられるか」が大事な時である。

「自分」が主語であり、自らの「気づき」で動ける企業は強いし、

モチベーションは「話やすい職場の雰囲気や組織のコミュニケーションの質や量」

と大きく関係する。今こそ、管理一辺倒の組織よりもタテマエや規則ばかりではなく、

良い意味でホンネが言える組織が生き残るのではないだろうか。

2008/12/03 07:56 | | コメント (1)

2008年12月26日

来年こそ“気づき”の年に(ビジネスサプリメント346号)

今年も残りあとわずかになった。本年の漢字は「変」と決まったが、

こんなに激変の年も珍しいのではないか。

現在の世界的な金融危機を誰が予測されただろうか。

オバマ氏の「CHANGE」が期待されている。そう「変わらねばならない」のである。

昨年末ドコモの広告に「気づき」と言う言葉が大きく掲載されていた。

「気づき」がなければ、新しいアイデアは生まれない
「気づき」がなければ、何が問題かもわからない
「気づき」がなければ、「カイゼン」することもできない
「気づき」がなければ、失敗は失敗のままでしかない
「気づき」がなければ、チャンスも活かせない
「気づき」がなければ、昨日と今日は変わらない
「気づき」が、仕事を変えていく

とあった。気づきナビゲーターの私としてはまさに言いたいことを集約されて

いると感心したものだ。講演や企業のご支援でもさかんに「気づき」の大切さ

を訴えている。「気づき」の主語は「自分」なのである。

世の中「変」に代表されるように「変革」の時代であるが、「気づかなければ、

変革は出来ない!」。

拙著「気づける人はよみガエル」でも述べたが「気づくことが出来れば、

<迷路を真上から見る>ことが出来る、気づかない人はいつまでも<茹でガエル>

であり<蘇るーよみガエル>ことは出来ない」のである。

人間は「気づけば必ず変わろうとする、変わらなければ気づいていないのだ」。

来年こそ気づき、実践の年にしたいものだ。

みなさまどうか良いお年をお迎え下さい。

2008/12/26 08:17 |

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