ある企業で個別ヒアリングをしていた時のことである。入社1年目の
優秀で問題意識旺盛な社員の方だったが、わずか3ヶ月ほどで全く
生気がなくなってしまっていた。「どうしたの?」の聴いても話さない
状態が続いたが、その内に徐々に話し始めた。どうやら自分の仕事に
対する思いと、組織の中の現状とのミスマッチを起こしているようなのだ。
目標とする自分の目線と組織に対する自分の目線が食い違い、
思い込んでしまっている様子が感じ取れた。
メンタルヘルスの問題まで進んでは大変であるが、
それは大丈夫の様子だった。
拙著「気づける人はよみガエル」の中にも述べたが
「気づくことが出来れば<迷路を真上から見る>ことが出来る、
気づかない人はいつまでも<茹でガエル>であり、<蘇る(よみガエル)>
にはならない」と言うフレーズを思い出した。そう!この方は数段も上を
見過ぎておられるのだ、したがって当然ギャップはある、
そんなにユートピアの組織なんてあり得ないと思う。
そこで「もう数段目線を落として、現場を直視したらどうか?
そうすると今まで見えていないことも見えてくるし、
自分自身が楽になるのではないか」、そして着実に一段ごと
登っていこうよと申し上げた。
そうすると、急に気づかれたのか、うなずかれるではないか!
「そうですね!あまりにも悪い部分ばかりに目が行き、良い部分を
見ようとしていなかった自分がありました」と言われる。
また次回にゆっくりお話しようと言う事になり、
終わった時は「何時もの素晴らしい笑顔」に戻られたのである。
2009/01/28 07:04
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世界的金融大不況による雇用不安、特に非正規労働者に対する3月末の
期間満了による契約解除がかなり出てきそうだ。
そこで出てきたのが「ワークシェアリング」の考え方なのだ。
「ワークシェアリング」とは<従業員同士で雇用を分け合い、各人の労働時間を
短くする時短によるものが典型的なやり方」と定義される。
内閣府によれば「雇用維持型」=不況などで企業の業績が悪化した際に、
一人当たりの労働時間を減らすことによって企業全体での雇用を維持するものと、
「雇用創出型」=様々な業務ごとの短時間労働を組み合わせることによって、
雇用機会を増やす<オランダ型>にわかれるようだ。
しかし日本の風土で定着するか極めて疑問を感じる。もちろんみんなの報酬は
減額されるし、日本型雇用になじむだろうか?
いち早く派遣切りが進む企業に取り入れることが出来るのだろうか?
アメリカではあるが、ビッグ3のトップが自家用飛行機で移動するような状況で、
トップは現場の痛みが分かるのだろうか?
ここで考えて見たいのはこの大不況下「ワークシェアリングにもっと
<ペインシェアリング>」の考え方を取り入れないといけないのではか。
そう!痛みをみんなで分かち合って耐えしのぐ合意が出来なければ掛け声だけに
終わってしまう。
マズローの欲求5段階説を思い出したが①生理的欲求②安全安定欲求
③社会的欲求④自我欲求⑤自己実現欲求があり、低次の欲求が満たされないと
高次の欲求は満たされないというものだ。
生理的欲求すら満たされない非正規労働者にモチベーションを高めよ!
とは言い辛い。高次の欲求が満たされた人々から痛みを分かち合ってこそ、
組織の一体感が醸成されるのではないだろうか?
今こそ雇用と企業の柔軟な経営を両立出来る道を真剣に模索すべき時だと確信する。
2009/01/21 22:06
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先日の朝日新聞に桂文珍さんの「私の視点」と言うコラムがあった。
落語家らしい極めて分かりやすい事例が述べられていたので少し
ご紹介してみたい。この信じられない世界的金融大危機のことを落語の
「花見酒」に例えて次のように述べられていた。
「リーさんという男がコモカブリの酒樽を仕入れ、花見酒の席に一杯5銭で
売りに行こうと言うことになった。1人で担げないので弟のマンさんを誘って、
後ろを担いでもらうことになった。担いでいると良い匂いがするので、
マンさんが<一杯飲みたくなった>と言い出した。リーさんは商売用なので
ダメと言ったが、マンさんは5銭あるのでと言い飲ませることになった。
上手そうに飲むのでリーさんも飲みたくなったと言い、もらった5銭をマンさんに
渡し飲んでしまった。同じ5銭をやりとりしている間にお酒がなくなっていく。
花見の席に着いてみると売る酒がなくなっていたし、お金もない」という例えであった。
いわゆる虚業であり実業ではなかったし、そのことに彼らは気づかなかったのである。
最近は「派遣切り」という嫌な言葉が氾濫している。非正規社員は契約ベースの
関係で決められた仕事をしてもらえばよい、正社員との間には質的な違いがあると
解釈されている。しかも外国人の派遣社員がリスクの波を被っているが、
最近の言葉では「人材ガラパゴス」なのである。
ここで花見酒の考え方をすると、生産調整のためには、その産業が低い賃金コスト
でないと成立しない状態だったということに気づかず実は中身が空っぽだったのでは
ないだろうか。
日本型経営の長所であった「人間尊重」「長期的視点に立った経営」を真剣に
考えなければ花見酒に終わってしまうことを肝に銘じたいものである。
2009/01/14 01:25
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並大抵の努力ではこの大不況を克服することが難しい昨今が続いている。
企業は売り上げを増やすか、コストを削減するかしか利益は残らないが、
安易な人件費削減で「贅肉は落としたが、筋肉も落とした」という事例が
あまりにも多い嘆かわしい現状である。
売り上げを増やすことは至難の技であるが「無限大」の考えをしてみたい。
花王が年末に「景気低迷→モノを買わない→父親の残業も宴会も減る→
子供の躾の重要性も高める」ということで<躾を兼ねたイベントをして
父親参加の大掃除をていあん>し「家族みんなで大掃除」をアピール、
清掃用品の需要拡大策を打ち出したところ爆発的に売れたそうだ。
またある地方のスーパーでは「安さ」だけではなく、商品の品質を正確に
表示するという「誠実さ」で売り上げを伸ばしている。
前職でも雨が降らないから「雨傘が売れない」のではなく、
「ファッション性の高い傘を前面に出す」ことにより空梅雨でも傘が
かなり売れたことを思い出した。そう!売り上げは工夫次第で無限大に
伸びるものではないだろうか。
またコスト削減も安易な人のジャスト・イン・タイムだけではなく「無減代」
の考えを取り入れたいものだ。仕事の見直しをすることで余計なコストが
随分削減できるのである。
即ち「無」は余計な仕事はないか?必ずあるものだ、それを思い切って無くす。
「減」はもっと仕事を簡素化できないか?必ず出来る、思い込みが邪魔をして
いるのである。「代」は誰かに代わってもらった方が良い場合も多い。
私の失敗経験からも、混迷の時代はこのバランスを上手くとったところが
生き残るように感じるこの頃である。
2009/01/07 16:25
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あけましておめでとうございます。
迎えたこの年の厳しさは並大抵のパワーでは克服できないかもしれないが、
物事は全てにおいて山あり、谷ありだ。
新年なので明るく述べたいのだが、楽観的には考えたくはない。
そこで2つのことを自分自身に言い聞かせたいと思う。
1つは「深刻に考えるな、真剣に考えろ!」と言うことである。
深刻になると従来からの発想の枠から出られない、
したがって「問題点を分析しすぎる」「リスクを見すぎる」
「考えすぎる」の三すぎシンドロームに陥る。いわゆる「負のスパイラル」
になってしまうのだ。真剣だと「どのようにすれば良いかに目がいく」
「過去は過去、現在を直視する」「先ずは実践してみる」と前に進めるのである。
進んでダメならまたやり直せば良い。
この言葉は、私の人生でどん底になった時にある知人の方から言われたものだが、
かなりの迷いから開放された経験があった。
2つ目は2つの「あ」が大事である。「あきらめるな!」「あせるな!」の言葉である。
人間は苦境に陥ると「あきらめてしまう」ことが多い、しかしあきらめるとそこで
ストップしてしまう。また「あせってしまう」ことも多いがあせると全てが
空回りしてしまう。世の中スピードが大事と言われて久しいが、
あせらずに先ずは原点に戻って考えるようにしたいものだ。
そうすると、今の時代にはふさわしくない言葉かもしれないが
「人の行く、裏に道あり、花の山」が見えてくるかもしれない。
今年は真に問題点と立ち向かい「ポジティブ」に行動する年にしたいものだ。
2009/01/01 00:03
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