人と組織研究所 気づきナビゲーター 高橋貞夫

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2010年5月 9日

否定のイメージ(ビジネスサプリメント418号)

児玉光雄氏著の「プラス思考を身につける本」の中で、失敗の恐れをイメージ

として描くことが失敗する確率を高めてしまうという内容を目にした。

失敗するのはその難しさではなくそれに携わる人間の考え方だそうだ。著者は

ゴルフの事例を取り上げて次のように述べている。「ゴルフでティアップした時

多くのアマチュアは自分の目標とするフェアウェーのセンターを見ないで、

OBゾーンや池を探す、キャディさんに、このホールのOBはどこ、と確認することが

多いのではないだろうか、これでは頭の中に打ってはならない領域しか描けない

ことになり、イメージを描く右脳は否定形が理解出来ず頭の中は、OBゾーンに

向かって打て、しか入らず失敗してしまう」とあった。つまりマイナスの思考で

満たされた脳が作成するのは失敗のプログラムなのだ。

確かに失敗を恐れていては殆ど失敗につながることが多いし、成功のイメージを

持っておれば成功につながる確率は高いと言える。要は物事をポジティブに考える

のか、ネガティブに考えるのかで成果は大きく違ってくるものだ。ポジティブな

考え方で失敗しても次は成功につながり、まさに失敗は成功のもとになるのでは

ないだろうか。部下指導においても同じことが言える。私にも経験があるが部下の

マイナス面ばかりを見過ぎ、否定し欠点ばかりを指摘していると部下は育たない。

それこそ部下は指摘されないように隠す傾向になってしまい委縮して伸びることは

少ない。それよりも良いところを思い切り認め、肯定してあげまっすぐに伸ばして

あげるといつの間にか欠点が消えていくものだ。しかし甘やかすことでは決して

ない、厳しく言うべき時は言わなければならない。コーチングの基本は「否定せず

肯定」から入るがまさにこのような考え方と同じではないだろうか。

迷路は人を迷わせるものだが、肯定的に気づくことが出来れば「迷路を真上から

見る」ことが出来るのではないだろうか。気づかない人は否定的に物事を見てしまう

ので何時までも「ゆでガエル」であり「よみガエル」にはならないように感じる。

2010/05/09 09:07 | | コメント (1)

2010年5月 2日

モチベーション(ビジネスサプリメント417号)

先日の日経新聞に「モチベーション、どこから?」と言う特集が掲載されていた。

日々の仕事にヤル気を持って臨んでいるか?と言う質問に対して「ヤル気を持って

取り組んでいる」と答えた人は24%と言う結果が出ていた。ではヤル気の源は何か

に対しての答えの順番は・収入・仕事への責任感・得られる達成感、一方ヤル気の

ない人の答えの順番は「頑張っても昇給や昇進につながらない」・会社のためにと

思えないと言う項目もあった。ハーズバーグの衛生要因にあるように「給与や地位

や環境アップ」などは衛生要因と呼ばれ「不満足の減少」でしかあり得ない、

「やりつくしたと言う実感や、みんなから認められる」などは動機付け要因と呼ばれ

「満足の増加」につながりモチベーションアップの源であることはよく言われている。

この特集から再度確信したことであるが、モチベーションの主語は「自分」であり

「やらされ感」からは絶対にアップしない、当事者意識を持って「自分事」として

捉え懸命に取り組んでこそ「達成感」が生まれモチベーションが上がるものである。

そのポイントは自分がポジに捉えられる「目標」があるのかどうかではないか。

例えばボーリングを例に考えると、誠に「単純反復作業」の連続である、しかし

自分のスコアの目標がありその達成のために「自分で工夫し考える」から面白さが

出てくるのではないか。また評価と言うことを考えると自分の投げた結果も即判明

する、またストライクが出るとみんなから「拍手」され認められるからますます

モチベーションも上がる。仕事も全く同じである、もちろん給料が高いだけが

ポイントではない、具体的な自分自身の目標があるのか、そのために自分で考えて

仕事をしているのか、そのプロセスを周りの人から認知され認められているのかが

非常に大切になってくる。MUST(ねばならない)からはポジな考えは生まれない、

WILL(したい)からはどんどんとアイデアが湧いてくる。仕事は厳しいもので

あるが「楽しい・役に立っている」と感じた時こそ成果が生まれモチベーションが

アップするものだ。そう!「目標こそ未来を築く」と言う言葉を思い出した。

2010/05/02 08:31 |

2010年5月30日

負けより辛いもの(ビジネスサプリメント421号)

今なかなか職に就けない人が多い世の中である、働きたくても働けない辛さは計り

知れない。そんななか元大関の琴風関(現尾車親方)の非常に印象に残った話を思

い出した。初めての負傷休場された時のこと、左ひざじん帯断裂で4場所連続休場

に追い込まれ、番付けは前頭筆頭から幕下30枚目まで急降下、入門から番付けを駆け

上がり、前年には関脇までトントン拍子に昇進されていたのである。復帰された時は

土俵に上がる前に相当な葛藤があったそうだ。付け人を従えた場所入りから一転し、

まわしを包んだ風呂敷片手に一人ひっそりと入るのが情けなかったと述べられている。

支度部屋では周りの視線が気になり格好が悪いという思いばかりが先に立ったそうだ。

救ってくれたのはお客様で、土俵に上がるとすごい拍手と歓声の渦、そこで「番付な

んて関係ない」と吹っ切れ、相撲にも迷いがなくなりその後大関の地位にたどりつか

れたのである。尾車親方曰く「負けることよりつらいものがあることを知ったのが大

きかった、土俵に上がって勝ったり、負けたり出来るのはすごく幸せなこと」と感じ

られたのである。まさに克己心(自分との戦いに勝つ)が芽生えたのである。

挫折が人を強くするものである。どん底を見たらあとは這い上がるだけ、以前の私は

底なのにまだ底を掘っていたような気がする。今働けている人の中には、いろいろと

不満や不平や面白くないことも多いことだろう、しかし働ける「幸せ」に目を向ける

とまた違ってくるのではないだろうか。そう!働けるという土俵に上がれていること

を忘れてはならない。職に就けていない人は5つの(あ)あきらめない・あわてない・

あせらない・あなどらない・あてにしないを忘れないで欲しい。先日の新聞に掲載

されていたが、日本生産性本部が調査した今年の新入社員の意識調査で「今の会社に

一生勤めたい」との回答が6割もあるのには驚いた。苦しみは逃げるから追いかけて

くるものだ。追いかければ逃げていくと思いたい。負けよりもつらいことに気づいた

人は真の安定を手に入れるのではないだろうか。

2010/05/30 11:03 |

2010年5月23日

目線(ビジネスサプリメント420号)

よく「現場目線」とか「消費者目線」などと言う言葉が使われるが、まさに相手の

立場に立って物事を見て良く考えることが大切なことは言うまでもない。

先日あるリーダーの方とヒアリングをしていた時に「私は可能な限り全ての現場に

入り込んでいきます、少しでも現場と一緒になって汗を流します、そうしないと

配下の人に納得してもらえる指示が出せないです」と言われた。現場を見ずして

上から目線で指示命令を出しても、当事者意識は芽生えず「やらされ感」が蔓延する

ものだ。ちなみにこの方の部下の方達はイキイキと仕事をされている。そうすると

日々の仕事も期待以上の成果が出てくるし、モチベーションも上がり主体的に考える

風土が出来るものである。

話は変わるが元職場でお手洗いの表示が分かりにくく、お問い合わせが多かったこと

があった。そこで掲示物の専門家がある場所にスマートな表示を付けたのである。

しかし相変わらずお問い合わせが多い状態が続いたので非常に困ったことがあった。

その時に「表示物を付けた人はお手洗いの場所を知っている」、知っている人の目線

と知らない人の目線は違うのではないかと言う仮説を立てて見た。そしてお手洗いの

場所をご存じないお客様がご覧になる表示物の高さを調査したのである。確か40

サンプルはあったと思う。はっきりしたことは「場所を知っている掲示物の専門家が

付けた位置は高すぎた」と言う結論になった。そこでその位置を随分と下げたところ

に付け替えると、お手洗いのお尋ねが殆どなくなったのである。ここで言えることは

我々が「目線」に立っているといっても、本当は全く違った目線で思い込んでいない

だろうか。それでは何らマッチングしないし、自己満足に終わってしまう。立って

いる小さな子供さんにお話をする時に、自分も立って話すのと、しゃがんで話すの

では子供さんの受け止め方が違うものだ。ことほど左様に簡単に「目線」と言う

言葉が使われているが、本当にマッチした目線なのかどうか見直すことが大切なの

ではないだろうか。

2010/05/23 09:56 |

2010年5月16日

油断(ビジネスサプリメント419号)

朝日新聞の天声人語に次のような文面が掲載されていた。「京都には名のある庭が

数多(あまた)ある、その京に暮らした詩人の天野忠が語ったそうだ、庭の良し悪

しは厠(かわや)の小窓からのぞき見するとよお分かります、庭が油断してますさ

かい」文学者の杉本秀太郎さんが著書「火の用心」で回想しているとあった。

誠に的を射た素晴らしい言葉ではないか。

油断していると即実態が見えるものだ。人は目に見える部分はかっこをつけている

ことが多い。もう数多く報道されているがイギリスのブラウン前首相が選挙の遊説中、

支持者の女性と移民問題で立ち話をした、笑顔で応じたが車に乗ってドアを閉めると

「あんなのと話をさせるな」と本音をもらしたら、外し忘れたピンマイクに拾われ

大問題になった出来事は記憶に新しい。

そう言えば以前ある企業で笑うに笑えない話を思い出した。ある中間管理職が、その

上司にこっぴどく叱責され相当頭にきたことがあった。イライラしてトイレに入ると

仲間がいたので、その上司の悪口を散々言いまくったようだ。ところがトイレの個室

にその上司がたまたま入っておられたと言うのだ。その上司は出るに出られず彼の

不満話の内容をすべて聞いてしまったのである。もう最悪の事態である。数時間後

彼は上司に呼ばれてまたまた厳しい叱責を受けたのは言うまでもない。またある企業

ではカーテンで個室になっていた居酒屋で叱られた上司のこきおろしをしていたとこ

ろ、隣のカーテン越しに偶然上司がおられすべて筒抜け、こっぴどく叱られたと言う

話も聞いた。叱った上司は感情的になっていなかったのか、愚痴を言った叱られた

人はどのような気持ちだったのだろうか。お互いに冷静になって話し合いが出来な

かったのだろうか。感情のぶつかり合いからは何も生まれない、お互いに言いたい

ことが言えて、素直に否があれば認め謝罪する気持ちがなければますます溝を深めて

しまう。面従腹背では組織は崩壊であり、生産性も上がらず「形」のみになってしま

う。今こそ相手の立場に立って「気楽にまじめな話が出来る」職場作りが求められる

時はないだろう。

2010/05/16 09:14 |

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