人と組織研究所 気づきナビゲーター 高橋貞夫

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2015年12月11日

木鶏(ビジネスサプリメント623号)

大相撲のモンゴル勢の活躍は素晴らしいものがある。日本語を覚え厳しい稽古に精進されている結実であろう。
最近「未だ木鶏たりえず」という言葉を新聞記事で見た。久しぶりに聞く言葉であり、これは荘子に出てくる言葉で次のような内容である。
あるとき王の命令で軍鶏を訓練することになった。10日経過して王が訓練士に「もう戦えるか?」と尋ねた。そうすると訓練士は「まだまだです、むやみにやる気を見せているだけです」と答えた、また10日して王が尋ねると、訓練士は「いえ、まだです、ほかの軍鶏の声や姿にいきり立つ状態です」と答えた。
さらに10日経過して王がまた訓練士に尋ねたら、訓練士は「まだです、相手を睨みつけ、闘志を見せますから」と答えたらしい。そして10日してから王は訓練士にまたまた尋ねると「やっとものになってきました、他の軍鶏が声をあげても、いっこうに動じません、まるで木彫りの軍鶏のようで、徳がみについた状態です、もはや他の軍鶏でかなうものはなく、後ろをむいて逃げ出すでしょう」と答えたとある。
あふれる才能を内に秘めながら、そんなものは私には関係ないという顔をして立っている、そういう木鶏の姿こそ、荘子にとって理想の人間像であったのである。
この話は昔からよく語り継がれた内容であるが、前人未到の記録を達成した大横綱双葉山が69連勝した後70戦目、安芸ノ海に敗れてその後連敗したことがあった。当時の69連勝は今と比べ物にならないほど難しい記録であったことは言うまでもない。毎日が自分との闘いでもあったのであろう。その時寡黙な双葉山が発した「われ、いまだ木鶏たりえず」と語った話は有名である。
白鳳も63連勝していたが64戦目に稀勢の里に敗れ去ったのは記憶に新しい。平成の大横綱でもなしえていないのである。しかしこのような大記録を達成した人は、人には分からない猛練習を行い迷いなど吹っ切って心・技・体が充実された結実なのだろう。何事に対しても「動じない心」を持つことは大切であるが、我々凡人では非常に難しいことである。それにしても本年の九州場所の白鵬の猫だましは残念であった。
何事にも諦めずに自分の取り組んでいることに集中し、毎日の努力の積み重ねをして、人には見えない懸命な鍛錬をしていけば、無理な話ではないかもしれない。早く日本人でも「木鶏」に値する力士が誕生して欲しいものだ。この先いろいろなことが起きるだろう、何が隠れているか、何が待ち受けているかは誰も分からない。なかなか出来ないことではあるが、少々のことに身じろぎしない自分でありたいし、周り左右されない自分の力をつけて、双葉山の言う木鶏には遠く及ばないが、泰然自若たるその精神は学びたいものだ。

2015/12/11 06:40

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