先日前職の先輩諸氏数名の方々と会食させていただいたことがあった。
集まられたのは、私より7~8歳ほど年上で皆さん私が入社した頃に大変お世話になった方なのだ。もうゴルフは止めたが、毎日万歩計を付けてウォーキングされている方、温泉めぐりやハイキング、はたまた世界旅行を楽しんでいる方などいわゆる「悠々自適」の生活を送っておられる。皆さん自然な味を出されているし、人生を楽しんでおられる姿が爽やかであり、目は輝いておられ本当にお元気である。
しかしあの魔の大型倒産はご経験ではない、私も含めて「団塊の世代」があの悪夢と真正面に出くわしたのである。
一体何故自分だけがこんな修羅場に遭わなければならなかったのか、という思いが恥ずかしながら正直湧いてきたのである。300人もの人々の首を切り、生活基盤を奪い、今でも睨みつけられた顔を思い出すことがある。お取引先へのお詫び回りで罵詈雑言を浴びたことなど生涯絶対に忘れられない事であった。
あの阪神淡路大震災がなく、あのまま前職で普通に定年まで勤め上げていたなら、皆さんと一緒の様に盆栽をいじり、ボランティア活動などしていたかもしれない。私には「定年」などなかったのである。自ら倒産の残務整理をして、新しい期の人事発令の発表が最後の仕事で、自分の名前がない稟議書を読みあげた。仲間たちは私の名がないのに気づき、初めて私が退職することを知ったのである。当然送別会などもないし、ベテラン秘書の方1人に見送られて家路に着いた日が忘れられない。定年退職した時は「労いの言葉」があり花束の1つでもあるのが普通であるが、私は何もなかったのである。「懸命に働いたのに何でこんなことになったのか」と思ったが、帰りの電車で「いや!違う」
私の考え方が間違っていることに気づいた。あの修羅場は買ってでも出来ないし、私の人生観を大きく変えたことだったのだ。その時挫折していたら終わりであったが、幸い柳の様に「しなる」ことが出来たのである。外部のある人から「54歳でしょう、何故そんなにしんどい倒産の後処理の仕事をするの、早く辞めて新しい人生に切り替えたら?」と言われたものだった。
でもそれが出来なかったのは、私が最後までやり遂げないといけないという
「使命感」があったのかも知れない。その経験があったからこそ「60歳から独立をして現在未だ好きな仕事が出来る自分がある」と思えるようになったのだ。偉そうに講演会などでお話しさせていただいているのも、自分ではやり遂げたという自負心があるからだ。
先輩方にも口には出せないご苦労があったはずである。人それぞれの苦労や修羅場をどのように捉え、考えるかが大切であるのは言うまでもない。
ふと「人間万事塞翁が馬」という言葉を思い出したこの頃である。
2017/06/13 07:48