またまた本年の九州場所前に、あってはならない大相撲の暴力事件が起きた。
しかも大相撲力士の最高位である横綱である、「心・技・体」の中でも「心」のどこかに乱れがあったのだろう。残念なことだが先日引退発表をされた。
過去横綱白鵬は5連続優勝と言う輝かしい記録を残したが、連勝記録は稀勢の里に負けて63連勝でストップし、双葉山の69連勝への道が途絶えた。その時白鵬はうっすら苦笑いし「これが負けか、相撲の流れに隙があった」とつぶやいたらしい。この言葉からも大相撲における大切な「心・技・体」の中でも最も「心」の持ち方の重要性を改めて感じるのである。
昭和の大横綱双葉山は年2場所制の中にも関わらず、角界の大記録69連勝と言う素晴らしい結果を残されたが、70戦目に出羽の海部屋の新鋭である安芸の海に連勝をストップさせられた。その時双葉山は師と仰ぐ方に「イマダ モッケイ タリエズ フタバ」と打電されたらしい。木鶏(もっけい)とは「荘子」に出てくる言葉である。昔中国で闘鶏の名人がいた、鶏を前にして王が名人に次のように尋ねた、「もう闘わせてもよいか」、名人の答は「まだ自分の力を過信しています」と。しばらくしてまた尋ねた、すると名人は「他の鶏を見て、まだ興奮するのでダメです」、また尋ねた、今度は「まだ血気盛んすぎます」。そして最後に尋ねたら、「もういいでしょう、まるで木鶏のようです」と答えたと言うことらしい。これが木鶏の所以である、鍛えられた闘鶏は、木掘りの鶏のように微動だにしないと言う。まだ木鶏の域にたどりついていない、是が非でも到達したい、そう念じながら相撲道に精進し続けた双葉山の命のほとばしりを感じる。本物の謙虚さを持つ人でないと出てこない言葉である。
今の世の中は本当に嫌なニュースばかりであるが、それを嘆いていても何ら前には進まない、「木鶏」は肝に銘じさせられる言葉ではないか。この先いろいろなことが起きるだろう、何が隠れているか、何が待ち受けているかは誰も分からない。なかなか出来ないことではあるが、少々のことに身じろぎしない自分でありたいし、周り左右されない自分の力をつけて、双葉山の言う木鶏には遠く及ばないが、泰然自若たるその精神は学びたいものだ。
2017/12/01 07:51