あけましておめでとうございます
今年は戌年、犬は実直で忠誠心が熱く勇気に富、他人の為に力を尽くす動物と
言われています。
古来は神様を守護し、お仕えする霊獣として祭られてまいりました。
神社の参道には、魔除けとして狛犬が一対置かれています。
また、張子の犬は安産祈願や子供のお守りとして飾る習慣が日本の各地で今も
残っています。
ある資料によると戌年の人の基本的な運勢と性格は律儀で苦労を惜しまない、
忠実ピュアで朴訥(ぼくとつ)としていて、意志が強く一本気のため献身的な
努力を尽くすとありました。
戌年にちなんで、時代の流れを鋭い嗅覚でかぎ分け、穏やかで安らかな暮らし
が続きますよう、願いを込めて新年を迎えたいと思います。
2018/01/01 00:00
| パーマリンク
水の中のカエルを熱湯に入れようとするとすぐに飛び出すが、徐々に熱を加えて温度を上げていくとどうなるだろうか。カエルは温度の変化に気づかずにいわゆる「ゆでガエル」になってしまうそうである。水から熱湯という急激な変化には気づいても、水からぬるま湯、やがて熱湯という段階的な変化には気づかないのだ。
人間もこれと同じであれば恐ろしいことではないか。いや、だからこそ私はいろいろな温度を経験できたと改めて思う。一つの企業や職場に長く居続けると気づけないことが多いだろう。要はその状態が「当たり前」になってしまい、世の中の凄まじい変化に気づかなければ、新しい道は見えてこないのだ。また人間は自分と同じ仲間を集めれば安心するものである。まさにこれは「ゆでガエル」の状態だ。「常人とは異なる人」を排除しようという傾向でもある。
企業においてはしばしば「周りに異を唱える人」「NOと言える人」もこれにあたるのではないだろうか。言いたくても言えず黙ってしまう人の中には「建設的な意見」もあるかも知れない。
今大企業で多くの不祥事が多発しているが、「異を唱えられない」風土になっていたのだと感じる。
結果として企業や組織体が大きなコップとなり、その中で「ゆでガエル」を泳がせていたことになってはいないだろうか。
転職を勧める訳ではないが、転職するとこのコップの外に放り出されるわけであるから、自分とは異なるものの洪水である。私は初めて転職した時はまさにその状態であった、もうダメと思った時を思い出す。今まで自分が安心して、あるいは当たり前と思い込んでいたことが、普通ではなく今までのコップの中しか知らなかったが「思いもよらない可能性」が広がっていることも発見できたのである。
企業文化という言葉がある。もっと言えば「人」単位でも文化がある。他人には他人の文化がある、「踊り場=自分を見つめ直し新たな自分づくりをする場」で自分をリセットしなければ、この異文化と触れ合うことはないのではないだろうか。転職しなくても「企業内でのぶら下がり」から「企業内で自立した自分づくり」をすれば、この異文化と触れ合うことが出来、更に学ぶことも出来るのではないか。
異文化を受け入れる柔らかなマインドで前へ進んでいくことが、今ほど求められている時はない。
2018/01/05 18:29
| パーマリンク
年初めの日経新聞に「いつの間にか<仕事熱心>をやめた日本人」と題した社説が掲載されていた。今私が考えていることをずばり指摘されていた内容だったのでご紹介しながらコメントを加えていきたい。
「米のギャラップが昨年公表した、日本で<仕事に熱意を持って積極的に取り組んでいる>従業員の比率は全体の6%、調査した139ヶ国の中で132位と、最下位級にとどまった」とある。これは相当以外でありびっくりした。
また与えられた仕事を指示通りにこなす受け身の勤勉性はそれなりに高いものの、自ら主体的に仕事に取り組む姿勢に欠ける現状は非常に心配だともある。
まさに指示待ち人間なのだ、あるTV番組で独裁的なトップからの指示を間違いなく進めていくことしか考えず、幹部自から意見を言ったことがないという事例が紹介されていたが、その企業は破綻したのである。指示命令は有事の時は有効であるが、平時まで指示しか動けないのは誠に怖い事である。働き手の熱意の低い職場から新しい発見や開発は生まれない。
また仕事の「やらされ感」が強まれば、不祥事や労働災害も起こりやすくなるとあった。そう「やらされ感」からは疲れしか残らないし、まして指示や命令だけでは「達成感」は少ないのではないだろうか。自分が主語にならないと生産性は上がらない。従業員のモチベーションを高め、職場の活性化が急がれるのは言うまでもない。
また若い人が新しいアイデアを出しても、職場で多数派を占めることの多い中高年層が抵抗し、跳ね返される、そんなことが繰り返されれば、あきらめムードが広がり誰も何も言わなくなるとあった。もう重症である、「異を唱える人」や「NOと言える人」が居なければ活性化なんてありえない。まさに「学習性無力感=ダメだと思い込むことを学習する」が蔓延したらまことに怖い。
また外部の人材の導入も組織の刺激剤になる、パナソニックは外資系IT企業の元幹部を要職にスカウトし、官僚的な社内風土に風穴を開けようとしているともあった。
そう「鰯の生簀に鯰1匹=生命力のない鰯が生簀に異物の鯰が入ってきたことで、刺激を受けて生きていた」の事例を思い出す、まさに異文化に触れない事には先が見えてこないのである。
私が一番思うことは社内のコミュニケーションだ、幹部達はよく話していると必ず言うが、それは「つもり」であり実際は殆どコミュニケーションされていない組織を数多く見て来た。
日本も早く132位から脱出しなければならない時が待ったなしで来ている。
2018/01/15 07:05
| パーマリンク
先日の日経新聞の「経営の視点」に面白い記事が掲載されていたが、経営者がどれだけ社員と意思疎通できているのかという内容だった。
私は前々職時代には「現場が命」を忘れずに、可能な限り売場を巡回して、販売員の表情や態度、商品の売れ筋、お客様のお買い物の様子をきめ細かく観察したものだった。
記事には日本航空をたてなおした稲盛氏の事が書かれていた。ご紹介すると「伊丹空港を稲盛氏が視察された時、カウンター勤務の若い女性社員が月2千円のコスト削減成果を発表されたようだ、金額の少なさに周りは困惑したが、稲盛氏は<そういう努力が一番大事なんだ>」と大いに褒め称えたらしい。そしてこの話がメールで部署を越えて広まったとあった。
私も現場を回ることが一番の仕事とした。ある時女性販売員から「店長、最近マネージャーに前年踏襲は止めようと言われたのですか?」と声を掛けられた。
確かに毎月管理職には現場で感じた事例を根気よくお話ししていたし、前年踏襲の話もしたのである。私は「したよ!」と答えたらその女性は「やはり!」と言うではないか。そこで私は「何かあったの?」と質問すると、彼女は「昨日朝礼でマネージャーが、前年と同じ商品や売り方ではもう売れない、みんなお客様目線で考えて売り方を変えていこう!」と話されたと言う。そこで私は「その言葉を聞いてあなたはどう思ったの?」と尋ねたら「何を言われているのか具体的な話はない、今までと同じ売り方で、同じような商品ばかりでは売れないことを一番感じているのは、実際に売っている私達なのだ」と思い少し腹が立ちましたと言うではないか。私たちは「マネージャーと一緒になってどのように売場を変えていくかを考えて欲しい」と言い切られた。私はその通りであり、言ったからではダメで、その言葉が現場でどのように捉えられたかの検証が大切だと、彼女から教わったのである。
現場を回る時は「ゆっくりとヒマそうに歩く」「声掛けする人は偏らない」を肝に銘じていたことを思い出した。
今大企業で起こっている不祥事は「現場目線」をないがしろにしているからではないだろうか。
この記事の最後に「経営者の指示に現場が反発するのはまだ健全な状態」で「面従腹背になったら、飛躍や革新どころか、不正や隠ぺいが起きかねない」とあった。
2018/01/26 13:18
| パーマリンク